バグが無いゲームは正義なのか? バグとゲームの面白さの関係について

2018年9月15日

最近のゲームってバグが無くなりましたよね。

えっそんなことないですか?

確かに今は後からバッチを当てて修正できるので、ある程度のバグはスルーされる風潮にあります。

が、それでも昔に比べると圧倒的にバグの量は減りました。

少し昔はバグがゲームコンテンツとして認められるほど多く、「広技苑」という裏ワザをまとめた本があり、結構バグ技が裏ワザとして載っていました。

攻略本
↑筆者の私物。昔は毎年出ていました。

そして、バグが減ったことにより、ゲームは少し窮屈になったなと感じます。
例えるなら、危険だからと遊具が排除された公園のように感じます。

どういうことか、具体的な例を挙げながら説明します。
ちなみにバグが必要だという話ではありませんのであしからず。

例えば、かの有名なマリオシリーズの「スーパーマリオ64」では、様々なバグ技を使用したTA(タイムアタック)が編み出されました。

壁抜けに始まり、床抜け天井抜け、テクスチャとテクスチャに挟まって押し出されることによる亜空間高速移動などやりたい放題です。

ゲーム開始直後に全ストーリーかっ飛ばして魔王を倒すような所業です。

↑の動画は有名なマリオ64のタイムアタック動画

無論、対策は必須です。

そしてマリオ64の系譜である「マリオギャラクシー」においてはバッチリ対策された結果、徹底的にステージを管理され、テクスチャが怪しそうな壁には触れる前に押し戻され、落下するとオブジェクトにぶつかる前に早々にゲームオーバー扱いとなりました。

これらはFF15の車や、マリオカートのコース外落下などもそうですね。

これによってバグは無くなりました。

しかし同時に、プレイヤーの操作による神業的なテクニック(バグ未使用)も生まれ辛くなりました。

プレイヤーの自由な発想はバグの元となるため、「実行する前に」潰すようにゲームが作られるようになってきたからです。
プレイヤーの行動を制限し、予想を上回る動きをさせないという方法ですね。

限られた箱庭内でゲームの遊び方を模索するといった遊び方から、製作者の想定通りにゲームを進めることができるかという遊び方に狭まってしまっているように感じます。

これは決して悪ではありません。

そもそも製作者が提供するコンテンツを破壊するようなバグは殲滅すべきです。

また、膨大化するゲームコンテンツの前にバグを出さないためには、発生するような状況をまず潰すようにゲームを作るのが最善ですし、リスク回避としてはメジャーな手法です。

しかしながら、少々製作者がバグに怯えすぎて、プレイヤーがゲームの主人公となって自由に行動するというものから、段々と製作者の作成した読み物のページをめくるようなゲームの作りになっているようにも思えます。

これは製作者だけの問題ではなく、プレイヤー側の問題でもあります。

昔と比べてネットが発達した今、攻略やストーリーは一夜にして開示され、バグなどの粗は全てのユーザーに共有されて広まります。

結果、バグがあるから直るまで買わない。
粗があるからクソゲーといった烙印が押されます。

そして最近ではeSportsが誕生し、より厳格な体制が組まれています。

ゲームをプロの仕事とする以上、ゲームに不確定要素があってはなりません。そうなるとゲームはますます管理された厳格なものへと変わっていきます。

何度も言いますが、これらは悪いことではありません。

むしろバグが無いのは当然のことで、全てが緻密な計算のうえで成り立つゲームバランスというのは素晴らしく、とても面白い作品が数多くあります。

しかしながら、これらの流れによって製作者はバグを出さないようにするために遊びの余白を無くしていき、プレイヤーはバグや粗が無いか調べ、監視し、報告するようになっていきます。

ゲームという自由な遊び場は、どんどん窮屈な公園へと変わっていきます。

もう少し例を挙げて見ましょう。

バグで有名といえば「星のカービィ スーパーデラックス」があります。
これはもはやハード側の欠陥だと思うのですが、ゲームカセットを一振りしたり、デコピンするとゲームデータが消えます。

最初このバグに出会ったときはショックのあまり泣いてしまいました。

↑明るい音楽からの 0%0%0% ドンッ! が絶望感あって好きです。

ショックに負けじと一からやり直してみると、あれだけ苦労した全クリがあっという間に出来るようになっていました。

そして次の日スーファミの電源を入れると当然にようにデータが消えているので、今度は驚くことなく全クリします。

いつしかクリア度0%からスタートし、100%クリアというEDを見るステージクリア型ゲームのように楽しんでいる自分が居ました。

このバグは広く知られ愛されており、リメイクやVC版でもバグを再現できるようにしてほしいと望まれたほどです。

この他にも、古いゲームの復刻時、バグはそのままにしておいて欲しいという声が挙がることはよくあります。

無論、愛されるのはそういったバグであって、フリーズしたり進行不可となるようなバグは昔から嫌われ復活も望まれていません。

その線引きはとても難しいですし、バグですから重要度の軽いバグを狙って出せるものではありません。
狙って出せるならバグではなく仕様です。

現在でも、海外の物理演算を多用したゲームやオープンワールドゲームはバグの温床であり、そういったものを意図的に起こして集めた動画などは人気を博しています。

開発者にとっては頭を抱える問題だと思いますが、ゲームは本来、多少のバグ程度はその面白さで飲み込んでしまうぐらい懐の深いものであったと思います。

最近ではバカゲーの類も復権していますし、もっと自由なゲーム社会になっていくと良いですね。

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